匿名コメント

統計資料を見たことがありませんが、少なくともブログの過半数はコメント欄を公開(自動承認)していると思います。
その数は相当の数にのぼると思います。
その中で、いわゆる炎上状態にあるブログとか炎上によって閉鎖を余儀なくされたブログというのは何%くらいあるのでしょう?
少なくとも、匿名コメントを許容しているから炎上する、というわけではないと思っているのですが、それは間違いだという統計資料などがあるのでしょうか?

批判と攻撃

なんらかの共通項のある者同士(例えば弁護士同士)ならば、およろあらゆる問題において意見が対立するということは普通はないものです。
ある問題については意見が正反対に対立しても、別の問題については似たような意見になるということが普通に生じます。
正反対に対立する場合でも、お互いに相手の主張が理解できる場合には(普通はできるんですけど)、どこがどういう理由で対立しているのかがわかった段階で議論は収束します。
主張を主張として議論している限り、後腐れは残りません。
しかし、相手の主張を相手の人格や属性に結びつけて個人攻撃を始めちゃったらオワリですね。
なぜか、「批判」を「攻撃」と受け取っちゃう人がいるようです。
「批判」であれば、それを受け入れるか反論するか、または受け入れつつ反論するかという問題になるわけですが、「攻撃」と受け取っちゃうと「全否定して反撃」ということになる場合が多くなるように思われます。
建設的とは言えなくなりますね。

真偽の判別

某所から引用しますが(引用しなくても一般的な問題ですが)

何を書いたかではなく誰が書いたかだけに依存した真偽の判別

真偽判別以前の発言というのありますが、真偽判別の問題としてみますと
「誰が書いたか」というのは真偽判別のための参考情報の一つでありますので、上記引用部分の問題性のキモは
「誰がかいたかだけに依存」の「だけ」の部分であるわけですが
文字通り「だけに依存した」真偽判別をしている人は多くはないと思いますし、まれに依存しきっている人の場合には、それは真偽判別以前のためにする主張と言わざるを得ないと思われますので、実際は程度問題だと思うのですが、「だけに依存性」が高い人というのは、やはり論理的な考え方が苦手または面倒くさい人なのだろうと思います。
何のための論理かを考えれば論理的に容易に導かれる結論ではありますが。

専門内の専門外

専門家と言われている人がいますが、その専門領域がさらに細分化されている場合、一見すると専門内に見える事柄でも、実際は専門外であるということがあります。
福島県立病院の産科医が業務上過失致死等で起訴されて結局無罪になった事件でも、同じ医者ではあっても問題になった産科領域については必ずしも専門とは言えない医師が述べた意見が検察の判断を狂わせたのではないかということが指摘されています。
専門外の人間にとっては、医師というだけでその意見に権威が生じてしまうことから、ど素人が間違った意見を述べるより、はるかに罪が深い場合があるように思われます。
私も、医学ではありませんが、専門領域に携わる人間として、そしてそれを明らかにしている人間として、自戒しなければいけないと思っています。

SMAPの草磲剛逮捕事件の深刻さとはてブコメントの落差

事件自体は、付近住民が不審に思った程度で、それほど凶悪とも悪質とも思われない(今のところ)。
深刻だというのは、それにもかかわらず逮捕され、徹底的なマスコミのネタにされ、タレントとしてあらゆる活動の場を奪われ、莫大な金銭的負担も予想される草磲剛の立場なのだが、それを知ってか知らずか、はてブコメント(例えばこれ)は能天気なお祭り騒ぎ的な空気に充ちている。
はてブの空気が正しいとするならば、逮捕したこと自体の当否がやはり問題になるような気がする。

いつか猫写真

はてなブックマークお気に入られリストの中にあったm_insolenceさんのブックマークを覗いてみたら、そのトップに「荻窪圭の“這いつくばって猫に近づけ”」というのがブクマされてた。
猫好きのくせに猫アレルギーで猫を飼えないモトケンとしては、いつか街中の猫写真を撮ってやる、と思ってるのですが、そんな人間のためのバイブルみたいなサイトです。
m_insolenceさんに感謝 m(_ _)m